プロフィール
三栖右嗣氏(みすゆうじ)記念館は敷地内のシンボルツリーや新河岸川沿いの桜並木など、サクラとはなじみの深い美術館です。スタッフがブログを通じて、さまざまお知らせを提供し、さくらのように愛される美術館づくりをめざしています。
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スタッフブログ

ヤオコー川越美術館三栖右嗣記念館スタッフによるブログです。

‘日記’ カテゴリーのアーカイブ

これが撮影風景です。


みなさん、こんにちは。寒くなりましたね。

冬将軍もやってきて、富士山も雪化粧をして。でも 美術館ではHOTな出来事がありました。

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世界文化社さん出版のニューフェイス、女性雑誌「GOLD」の撮影が11月のとある日のオープン前にあったのです。モデルはフリーキャスター伊藤聡子さん。キレイなだけではなく知的で明るい大人の女性です。(写真は11月号)

               

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失礼して 撮影前のヘア・メイクの様子を撮らせていただきました。

 

 

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撮影本番。「展示室2」にて。赤いチェック柄のワンピース、ステキに着こなし とてもお似合いでした。

 

 

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ラウンジにて、美術館名物「おはぎ」を召し上がるシーンです。奥の方に「三栖右嗣先生」の学生時代のデッサンが展示してあります。なかなかイケメンです・・・。

 

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もう一人の主役、「BMWといっしょに 美術館に来ました」の設定です。赤いボディがよく映えます。中は黒の革張りでした。ハンサム!!

 

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伊藤聡子さんはスタッフとの記念撮影にも快く応じて下さいました。ヤオコーのお店にも興味を持っていただき撮影後「ヤオコー的場店」に出向かれました。

 

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日が暮れてからBMWだけの撮影がありました。空気が澄んでとてもきれいな夜のはじまりでした。

 

 

この様子は「GOLD」1月号に掲載されます。皆さんご覧になって下さいね。

「GOLD」は40代半ばからの子育てが終わった女性の為の雑誌です。毎月7日発売。820円。どうぞお楽しみに。

       by わたなべ 


当館「お客様の声」のご紹介


昨年3月に開館した当館も、早いもので1年8ヶ月が経過致しました。

その間、三栖右嗣先生と伊東豊雄先生の、素晴らしい絵画と建物のお蔭で、多くの皆様がご来館されました。これからも「居心地の良い美術館」を目指してスタッフ一同頑張りますので、皆様方のご指導をよろしくお願い致します。当館に設置してあります「お客様の声」ノートの中から、最近のご意見の中から3点をご紹介致します。by宇多村ノート.JPG

9月19日(木)  ずっと来たかったので、来れて良かったです。光がやわらかく明るくて、音がひびくのも非日常的で時間がとまったようで、おちついて作品を拝見することが出来てよかったです。作品ひとつひとつも作者の強い意志と、空気と物や風景がまるで目の前にあるようで、すばらしかったです。また伺いたいです。N.E様

11月3日(日)  半年前に来て、建物・作品に感動。作品の入れ替えを楽しみ待って、又来ました。蔵造りの通り、氷川神社の人混みを忘れさせる静かなこの空間にいやされます。人に教えたいような、教えたくないような...お気に入りのスポットです。

11月4日(月)  テレビで紹介されているのを見て、訪問しました。その時案内しておられた女性(Hさん)の方に、私達も説明を聞かせて頂きました。三栖画伯のすばらしい作品と、その説明に深く感動しました。生と死、花々...ありがとうございました。沢山の人がここを訪れますように。  O町からの皆様 

 

 


三栖右嗣の足音 Vol.3-1


 三栖右嗣は2010年4月18日に、83歳の誕生日まであと7日を残して世を去りました。享年は82歳ということになります。その長い画業を、これまであまた書かれた評論その他の文章を通じてご紹介したいと思います。当時の文章を加工せずそのまま読むことで、時代背景や、描かれたばかりの絵を見たときの人々の高揚した気持ちを、そのまま味わっていただけるのではないかと考えました。語られた膨大な言葉の海の中から立ちあがってくる三栖絵画の真髄を堪能なさってください。

 

三栖右嗣作品選集1945~1975 より  監修・文  村木明

三栖右嗣の人と作品

 三栖右嗣は、1927年(昭和2年)厚木市に生まれたが、のち埼玉県和光市に移りそこに住み着いたまま今日にいたっている。父は機械技師で頑固一徹なところがあったが、母は愛情細やかで思いやりがあり人びとから慕われていたという。早逝した長兄は、音楽をたしなみ小説を書く文学青年であった。次男の彼は、兄の影響を受け早くから絵に親しんだ。父に似ず二人の芸術家志望の息子を抱えた母は、「茄子の木に瓜がなった」と人に語っていた。他に二人の姉がいるが、いずれも近隣に嫁いでいる。やがて画家となる彼は、仕事における頑固一徹さを父から譲り受け、生活人としての人情に篤い寛大な性格を母から受け継いでいた。

 1945年東京芸大に入り、安井教室に学んだ。東京芸大入学は母の口添えによるもので、父は渋々それを承知したという。在学中からすでに抜群の才能を見せ、同期の浮田克躬や本山唯雄らは彼に一目置いていた。45年の「デッサン」、46年の「エチュード」、47年の「ひなげし」は在学中の作品である。51年の卒業制作(卒業が2年遅れていたのは卒業制作を出さず、好きな制作に夢中になっていたからだ)は、「自画像」と「ある友の肖像」の2点で、すでに画家の並々ならぬ才能のきらめきをのぞかせている。二点ともほとんど一昼夜で一気に描き上げたというから、彼の旺盛な筆力のほどがうかがわれる。ある友の肖像当館蔵ブログ用.JPGひなげし12f.JPG

 1955 年の「室内」は、師の安井曾太郎や硲伊之助の主宰する一水会展に初出品した作品で、会場を訪れた小磯良平は暫く彼の作品の前に佇んだという。確かなデッサン力と手堅い画面構成のこの室内画は、後年の小磯良平の作品を連想させるものがある。56年の「窓辺」は、今は亡き母の在りし日の肖像で、椅子に腰をかける横向きの母を描いた作品は、温厚で気品に満ちたその人柄を的確に捉えている。57年の「マリー」(ちなみにモデルとなったお嬢さんは、三栖右嗣画伯の姪御さんで、ご本名はマリイちゃんだそうです:美術館註)、58年の「外川」はそれに続く作品で、絵具は薄塗りで温和な画風を感じさせるが、その非凡な写実力はいずれの作品にもはっきりと読みとれる。マリーブログ用.JPG室内当館蔵ブログ用.JPG

 が、60年代に入って抽象の嵐が押し寄せ、画壇が抽象絵画に傾いていくと、写実主義を生きてきた彼は制作の意欲を失い、また抽象一辺倒への反撥から作品発表を中止してしまった。彼の沈黙はそのまま10年間続くが、その間の61年に描いたデッサンが残っている。写真図版の示すように、卓越したデッサン力を彼は修得していた。デッサン2.JPGデッサン1961年.JPG

画壇への再登場

 1960年代の抽象・前衛の波が去って、リアリズム絵画の復権が問われ出した70年頃より、彼は再び絵筆をとってキャンバスに向うようになった。60年代の沈黙の10年間はさる映画会社の宣伝部に籍を置き、作品発表こそはしなかったが折りに触れて絵は描いていたし、いまひとたび画壇に復帰する機会を待っていた。70年代の声をきくと、ようやくにして訪れたリアリズム復活の声に刺激され、彼は猛然と描き出した。

 折しも日本の美術市場は空前の絵画ブームのきざしを見せ、日本洋画壇は新鋭作家の出現を待望していた。そうした状況下にあった1971年に、彼は銀座の中央美術画廊と日本橋の柳屋画廊で続けて個展を開き、さらにその年日本洋画壇新鋭作家展にも出品するという精力的な仕事振りを見せ、リアリストの新鋭として注目を集めた。彼のかっての同僚たちはすでに画壇の中堅にあってそれぞれに人気を得ていたが、彼はそれには目もくれず、マイ・ペースで制作に励んだ。

 描き出すと、物を見る感も筆力もすぐ戻ってきた。彼は一般の人気作家のようにパターンとなるような作品か描かず、一作毎に新しい造形をめざした。作品は少しずつ売れたが、取材費はそれを上回った。それでも彼は納得のいく作品を、なによりも絵を描こうとして、来る日も来る日もキャンバスに向った。

北海道シリーズ

 その頃の制作には、北海道に取材したものが多い。小樽、シャコタン、雪の原野を多数描いている。また木曽路に取材した作品もある。その大半は風景で、手堅い写実力とダイナミックな画面構成で、リアリズム絵画を追求した作品は、その強靭なマチエールに支えられて迫力ある画面となっている。茶褐色を基調に、雪の風景では白を効果的に使って、北海道の風土性をよく生かしている。

 1972年には、前年に描いた「シャコタンの漁村」が安井賞展に入選したのをはじめ、銀座の飯田画廊企画の「形真展」に出品し、秋には同画廊で≪北海道シリーズ≫の個展を開いた。そのほか新世代展にも出品し、前年に引き続き精力的な仕事を続けた。そんな彼のひたむきな制作振りを励まし、彼の大成を祈っていたのは、すでに80歳をこえて病がちな彼の母であった。父はすでに亡くなり、母子水入らずの二人暮らしで、彼はいわゆる世間的気苦労はなく、制作に専念することができた。

 個展で発表した「オホーツク」「木曾」「街角(小樽)」「新聞と雑草」などは好評を得た。こうして画壇の一角に名を知られたとはいえ、無所属作家が認められるには、日本画壇の特殊事情だけに手間どった。72年の暮、彼はヨーロッパとアメリカに旅行し、フィラデルフィアではアンドリュー・ワイエスに会った。オホーツク当館蔵ブログ用.JPG

リンゴ園シリーズ

 新作の発表ごとに新しいテーマに取り組んでいこうと考えた彼は、「北海道シリーズ」の個展を終えた1972年の秋から信州通いをはじめた。「リンゴ園シリーズ」の構想が浮んで、リンゴを描きはじめたのである。リンゴといえば一般的にはセザンヌをはじめとする多くの画家によって試みられている卓上のリンゴ、つまり静物画を連想する。

 が、彼は大自然の中のリンゴを考えた。それは彼がつねに人間の肌合いを感じさせる生活の中に作品の発想を求めてきたというその制作態度に結びついている。彼が取材に時間をかけ、納得いくまで物を凝視し続けるのはそのためだ。だからといって、彼は決して自然を写生しているわけではない。大自然の中にある生命の躍動、生きているものの声をよみとろうとするからだ。そうした対象の実在をいかに画面に表現するかに、彼の造型思考はあった。その一つの帰結が、風景の中の静物と云う発想であった。

 「二つのリンゴのある風景」「雪の消える頃」「リンゴ園」「枯草の上のリンゴ」「リンゴのある風景」などはその代表的作品で、1973年6月の個展にまとめて発表された。それは単なる風景でも静物でもないユニークな「リンゴ園シリーズ」であった。またリンゴの背景の雑木林の処理に一時ワイエスの影響が現われたのはその頃のことだ。雪の消える頃ブログ.JPG

 シリーズはこのあと、「海のシリーズ」「日本の四季シリーズ」と続いていくことになります。評論家、村木明先生の明解な解説でお送りしております。どうぞ次回をお楽しみに。byひらい

 

 

 


全国からお客様が...第三弾


白地図1025.JPG

ブログをご覧いただいている皆様、こんにちは!

前回、お客様のご来館地図をご紹介してから六か月たちました。

あれから岩手、長野、静岡、三重、香川、徳島、熊本、長崎からのお客様がお見えになりました。

来春、桜が咲くころには、この日本地図もぜ~んぶ、ピンクに染まるでしょうか?

とても楽しみです。

どうか、〇〇から来たよ、とお声掛けください。お待ちしています。

 


jazzとbossa nova、そして爛熳と・・・


10月19日(土)、お天気はあいにくの雨・・・。

せっかくの川越まつりも雨の中。残念でしたね。

ミニコンサートは開館以来8回目となりました。毎回たくさんのお客様に御来館いただいております。

今回は「ジャズ&ボサノバ」でした。諸星裕美さんの優しいヴォーカル、北川伸一さんのセンス抜群のギターと共に名画「爛熳」もさらに輝いて夕方の心地良い時間を皆様と過ごしました。ディズニーの名曲「星に願いを」や「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」「スマイル」などボサノバ調にアレンジをして歌ってくださいました。諸星さん5.JPG諸星さん8.JPG

雨の中 足を運んで下さいました皆様、ありがとうございました。 

 

次回は12月21日(土) 下山英二さんのピアノ(キーボード)コンサートを予定しております。クリスマスソングも聴けるかも・・・♫ どうぞ お楽しみに!!

                               by わたなべ


黄昏の秋をみなさまへ


こんにちは。

今年の夏は暑かったですね。季節の変わり目で体調を崩されている方も多いのではないでしょうか・・・。

美術館も秋色展示に替わっていますよ。おいしいおはぎと温かいお飲物でゆっくりとお過ごしください。翌日からは心もからだも元気、元気ですよ!!

日が沈むのが早くなりました。昨日、帰り際にお庭を散歩したらこんな光景が!!

池に夕日がとてもきれいに映り込んでいました。夕ぐれの美術館2.JPG

夕方5時を過ぎると美術館はライトアップします。お散歩がてらご覧になってください。夕ぐれの美術館1.JPG

芸術の秋到来です! 皆様のお越しをおまちしております。     by わたなべ

    


せきれい物語


せきれいロボット.JPGカラス: あ、あれぇ? 君、もしかしたらせきれい君?

せきれい: え? ぼくだよぉ、やだなあ、カラス君。わかんないかい?

カラス: だって、なんだか印象かわったよ。

せきれい: うふっ。ぼくさ、ちょっと大人になったんだよね。羽の色がこくなったでしょ。

カラス後姿.JPGカラス: ふ~ん...

せきれい: ふ~んって、なにさ。もしかして「大人になったらますます手に負えな    くなるぞこいつ」とか思ってるんじゃない?

カラス: あっはっはぁ、その物言いはやっぱり君だったね。いやどうも、おみそれしたよ。なんだかこのごろ、見慣れないせきれいがやって来るんで、もしかしたら、君が彼女と待ち合わせしてるのかなって...思って。いやいや、ふっふっふっ。

せきれい: なに?その、ものすご~く嬉しそうな笑い方は。あ、わかったぞ。氷川神社に住まいするカラス君。 確か神社の杜には五羽のカラスがいるね。仲睦まじい二人が二組いてさ、残りの一人が、いっつもがぁがぁと、ご神域の静寂をかき乱している。あれが、君だったんだね。一人さみしく無聊をかこっていた君は、やっぱりいつも一人の僕を見て、わが身を慰めてたんだろう。「あの素敵なせきれい君にも、彼女が居ないくらいなんだから、まして、声のでかいのだけが取り柄の僕なんかには、いなくて当然なんだ」ってね。あぁ、それなのに、このごろ来る見慣れない美しいせきれいが、あの口やかましいやつの彼女なのかもしれないと、羨ましさに気も狂わんばかりになっていたところが、違った!それで思わず笑いがこみあげ...

カラス: ストップ、ストップ。細かい描写では、君は思い違いをしてるけど、まあ大筋では合っているから、僕はなんにも言わないよ。

せきれい: ふん、もっと君の心的苦悩を解明してあげたいんだけどな。

カラス: ところでさぁ、話しは変わるけど、鴨くんたち、この夏は帰らず滞在しているんだね。

せきれい: あ、あのカップルね。なんかね、親類やお友達も、もうシベリアには帰ってないらしくて、自分たちも定住することに決めたったてさ。 

カラス: 川越っていいとこだもんね。

せきれい: そうそう、ちょっと足を伸ばせば伊佐沼にいって、白鷺君たちともあそべるしね。

カラス: あれやこれや...

せきれい: あれやこれや...

せきれい駆け足.JPGからす修正.JPG

 

 

 

 なんだか、いつになく睦まじく語り合って尽きることのない二人でした。byひらい


美しいハーモニー・・・ポコ ア ポコ ♫


9月14日(土)、透きとおった女性コーラスのハーモニーが美術館内いっぱいに響きわたりました。

コーラスグループ「ポコ ア ポコ」のみなさんの歌声です。コーラス1.JPG

オープニングはモーツアルト「五月のうた」。 とても素敵なコンサートが始まる予感がしました。

そしてスキャット、日本の童謡、世界のうた、日本のうたと溢れるほどのハーモニーでお客様は心地良い時間を過ごされたと思います。

最後はみなさんとご一緒に歌うコーナーも設けて下さり、「おお シャンゼリゼ・故郷・夏の思い出」を 大きな声で合唱しました。これがまたすばらしく幸せいっぱいの歌声でした。コーラス2.JPG

お集まりくださいました皆様、「ポコ ア ポコ」の皆様 ありがとうございました。

絵画と音楽の美しいハーモニー、次回は10月19日(土)「ジャズ&ボサノバ」をみなさまにお届けいたします。

どうぞお楽しみに♫      by わたなべ


三栖右嗣の足音 vol.2


  三栖右嗣は2010年4月18日に、83歳の誕生日まであと7日を残して世を去りました。享年は82歳ということになります。その長い画業を、これまであまた書かれた評論その他の文章を通じてご紹介したいと思います。当時の文章を加工せずそのまま読むことで、時代背景や、描かれたばかりの絵を見たときの人々の高揚した気持ちを、そのまま味わっていただけるのではないかと考えました。語られた膨大な言葉の海の中から立ちあがってくる三栖絵画の真髄を堪能なさってください。

徒手空拳の快男児

                                1979年 村瀬雅夫

 痛快迫真の作風で現代画壇に抜群の力量を発揮している三栖右嗣は現代では"異色"の画家だろう。ともすれば団体に所属して一歩一歩画壇出世を心がけ、売り絵のために初志を歪げるサラリーマン化平均化した芸術界の大勢をなげき憂い、温厚な百キロの肥満体を創造者の気概と誇りで満たした型破りの画家の一人であって、死語になりかけている絵馬鹿がまだ当てはまるかもしれない。

 東京芸術大学卒業。しかし芸術界の通行切符としていまや有用な肩書を利用した形跡はない。その逆に、学校で教えられたものは創作と無縁と言い切る。年々の発表もやめて修験者のように黙々と芸風開拓に邁進し、40代で発表を再開すると一挙に「海を描く現代絵画コンクール」「安井賞」を連続受賞した。誰が見ても文句ない受賞で、現代美術界の最高賞を軽々とさらったという印象だった。

 そして52歳の今年、スペイン個展を試みた。「日本で認められ、高い金で絵が売れてもしょうがないじゃないですか。世界の芸術がこれだけ一体化した現代、外国の風物を描いて日本だけで見せたり、外国風のスタイルを真似て日本でいばっても何にもならん。世界に通用しなければ芸術家として意味がないのではないか。今や世界は一つです。ゴヤやベラスケスからピカソを生んだスペインを描いて、まずそのスペインの人びとに評価を受けたい。同時代の芸術家としてモデルになってくれたスペインの老人や女性たちに理解してもらえるか。マドリッドの個展は、その試みの手始めです」とその理由を語っている。

 国内での二つの賞も、挑戦してもぎ取った武芸者の道場破りの趣があったが、スペイン展はさらに身一つでの世界への挑戦となった。そして永遠の挑戦―これが三栖氏の本領、本性であるらしい。昨年数カ月のスペイン取材制作で、三栖氏は「体も心もすっきり引き締まり若返りました」と格闘者の表情に戻してはつらつと帰国し、個展の準備を進めた。「成果は大したことないと言われるかもしれませんが、この次の構想も出来上がりました。進むのみです」と語る。

 「アジアは一つ」と岡倉天心が言った一世紀後の日本から世界に打って出る試みは、壮たりと言える。荒海を切りさく竜骨のように独力勇往する現代画壇にまれな姿勢が、凛呼さわやかな作風と無縁ではないだろう。

 スペインの初個展は、マドリッド中の芸術評論家、画家が訪れ見にくるべき人で来ない人はいないという盛況だった。テレビ、ラジオにひっぱり出され、画廊は人であふれ、絵も見えないほど。なんとかゆずれと毎日作者の気の変わるのを期待してねばるファンもできた。「やはりやってみてわかってもらえる。人間は同じだと確信が湧きました」と語っているが、ユーラシア大陸の東のはての画家の心意気が、西のはての人々の心を打ったからに違いない。無題.JPG

 さて、これまで2回の「足音シリーズ」では、1975年の「海を描く現代絵画コンクール展」1976年の「第19回安井賞展」と二つの大賞を受賞し、またたく間に日本の洋画壇をかけのぼった雄姿をご紹介しました。しかし三栖右嗣にも、世界の偉大な画家たち同様、世に出るまでの様々な苦節がありました。次回は1945年から1975年まで、18歳から48歳までの、みずみずしい才能の赴くままに苦闘した、若き日の三栖右嗣を展望した「三栖右嗣作品選集」からお送りします。お楽しみに。byひらい

 


一建築家の熱意


8月22日(木)夕刻、遠く青森から若い建築家のMさんがご来館されました。

Mさんは青森でお父様と一般の民家も手掛けられる、建設会社を経営されています。ご本人は一級建築士の資格をお持ちで、以前から伊東豊雄先生の建築に惹かれ、先生の講演会にも出席されその際先生とお話もされたとのこと。またスペインまで先生の作品を見学に行かれたこともある熱烈なファンなのです。先生の「自由な発想と使う人に対する優しさ」を、自分の民家を始めとする建築に生かしたいと、熱く語られたのが印象的でした。ご来館の際、当館の「お客様の声」ノートに以下のメッセージを残されました。「青森からきました。とてもすばらしい!!RCなのに、自然の中にいるような建築におどろいています。またきたいです。」(原文のまま)

30分くらいの短い時間でしたが、会話の中からMさんの建築に対する熱意が伝わってきました。Mさん遠くからのご来館ありがとうございました。

                                by うたむら