皆様こんにちは。いつもスタッフブログをご覧いただきまして、本当にありがとうございます。今日から、三栖右嗣についての評論その他を、連載の形でご紹介いたします。
三栖右嗣は2010年4月18日に、83歳の誕生日まであと7日を残して世を去りました。享年は82歳ということになります。その長い画業を、これまでにあまた書かれた評論その他の文章を通じてご紹介したいと思います。当時の文章を加工せずそのまま読むことで、時代背景や、描かれたばかりの絵を見たときの人々の高揚した気持ちを、そのまま味わっていただけるのではないかと考えました。語られた膨大な言葉の海の中から立ちあがってくる三栖絵画の真髄を堪能なさってください。
まず最初にご登場いただくのは、村瀬雅夫先生です。村瀬先生は1939年のお生まれ。東京大学文学部在学中から、近代日本画の巨匠川端龍子率いる青龍社展に作品を出品。大学卒業後は読売新聞社に入社、文化部美術記者として活躍するかたわら、日本画家、文筆家としても独自の創作活動を続ける異色の存在でした。新聞社を定年退職されたのちは、明治大学講師、福井県立美術館館長、渋谷区立松濤美術館館長を歴任され、深い学識と洞察力からユニークな数々の絵画展を企画立案され、多才かつ多彩な活動家として知られてきました。
大変残念なことに、村瀬先生はこの6月20日に、70代なかばでお亡くなりになりました。三栖先生とは、画家と評論家というだけでなく個人的にも深い友誼を結んでこられた村瀬先生の早すぎる死に、私どもは深い悲しみに沈んでいます。村瀬先生は、当美術館立ち上げの際の監修にご尽力くださいまして、美術館運営に関する詳細かつ具体的なレクチャーをしていただきましたが、その中で忘れられない先生の言葉があります。
ヤオコー川越美術館にお越しの皆様にはお気付きのことと思いますが、当館に展示されております三栖作品にはすべてアクリルが入っておりません。多くの方々が「それは危険ではありませんか」との懸念を示されました。が、村瀬先生は、「これだけの作品です。三栖右嗣の絵を目の当たりにして、なおこれを傷つけようとする人はいない、そう信じて運営していってください」とおっしゃいました。その時の先生の静かな表情が深く心に残っています。最後にお電話した際にこういう企画を考えているとお話しすると、即座に私の文章はどれでもどうぞお使い下さいと言ってくださいました。
さて、それではいよいよ三栖右嗣の足跡をたどっていくことにいたしましょう。
村瀬雅夫 第19回安井賞展 ―現代具象のロマン志向━ 1976年
ことしの安井賞が三栖右嗣氏に決まった時、「コツコツ具象を追求している人が受けたのに共感した」「正統派の良さが評価されることは大変良い傾向ではないか」という声をずい分聞いた。いままで、安井賞が決して悪い作品、質の低い作家に与えられてきたはずもないのだから、これは具象絵画への世間のムードが変わりはじめたことを示すものだろう。
受賞した三栖氏の作品は二点とも褐色のトーン、リアルな老人の裸婦像だった。大賞の「老いる」は座った上体をヒザの上に折り曲げ、白いシーツをかき寄せ、うつ向いた老婆の背から肩、腕の乾いた肌と深いシワが痛々しく、シーツの鮮明な純白が人生の歳月の悲しさも深々と訴える。「生きる」はベッドに横たわる老婆。いずれの作品も思わず目をそらしたくなる老いの姿を鋭くつきつけるきびしさを持つ。しかし明るいハニワ色の暖かみのある肌の色、太陽の光があふれる澄んだ色調の画面をしばらく見ているうちに、誰しもが持つ宿命の老いを見つめる作者の静かな心と最も身近で単純な人間という対象によって、一つの造形世界をうたいあげようとする明確な画家の意志が脈打っていることが見て取れる。そしてやがて雪どけの春の大地から湧き上がるかげろうのように、人生賛歌の高らかなロマンの響きが聞こえてくる。老婆のモデルは八十歳を越し、先年亡くなった作者の実母である。母親への思慕の予期せぬ効果が、大賞受賞に大きく働いたのかも知れない。 三栖氏はやはり人物像「海の家族」で、昨年の「海を描く現代絵画コンクール展」の大賞を獲得している。これも沖縄の明るい海と砂浜、漁船をバックに、海の人そのものといえる年老いた赤銅色のシワ深い老人を中心に、その嫁、ほとんど海とは無縁にこれから成長しそうな元気な子供二人の一家の群像。干してある漁網とオカッパ頭の女の子の黒髪が浜風になびき、強烈な日射しの中の海に生きる家の表情を見ているうちに、人間の持つ生のやるせない無常感、それ故一つ家に共に肩を寄せ合う生活のいとおしさもジーンと伝わる。
画風は写真のようにリアル。パレットナイフで絵具を塗り、細部までシャープで明快、誰が見ても誤解しない。狂いない対象把握と再現手法、そしてそこにはそれを描こうとした作者の意図と感情が明確だ。現代絵画の大方の風潮、形も不明確、何を伝えたいかわからない絵画の中にあって、きわめてわかりやすい歯切れのよい画風だ。
作風とはまったくかかわりのないことだが、作者はでっぷりと中年太り。指先までまるっこく、こんな指先で、どうして髪の毛一筋、シワ一本の細かい描写が出来るかと思うほど。まん丸の顏に埋まりかけた目が、しばたく男ざかりの49歳。酒好き、独身、「さびしい、さびしい」と夜の街を飲み歩く。マジメ画家の多い現代ではやはり型破りの作家に属する。「何気ない光景の中に恐るべき真実があるのではないか。それを見い出して描きたい」と語り、「描写力ではオレは誰にも負けない」とも自負する。人を感動させる絵を描くことに情熱を持ち、その精進だけに興味をかきたてる熱血の絵描き、現代の物分りのいい社会では時代錯誤の絵バカとも言えそうな絵描きらしい絵描きでもある。
その画家としてのなりたちは1951年東京芸大卒、安井教室で学んでいる。卒業後は一水会に出品したが、60年から70年まで10年間作品発表を一切やめた。映画看板描きもやったといわれるが、しかしこの時期に、現代的で平明、普遍的でもある強靭な描写表現の基礎がつちかわれたことは疑いがない。再び無所属で個展を開きはじめたころ、ワイエス展が日本で大評判、リアルな写実がワイエスと比較されたりした。
ここ数年は、リンゴ畑や漁船もテーマにしてきた。リンゴ園では敷きワラ一本、赤いリンゴにふく白い粉、白い幹、 土の匂いまで、漁船でははげ落ちたペンキ、赤錆びた鉄板の鋼鉄のたくましさ、風雨にさらされた板のあせた感触、さらには船にひきあげられた魚のウロコのぬめりと生臭い匂いまでトコトン物の姿を描きわける。その一方、春の夕ぐれ、川の岸辺に渡し舟を待つ農婦に、日本の農村の穏やかな安らぎの光景をとらえ、一面に咲く菜の花に日本の野の春のはなやかさもうたいあげる。そして正確な描写だけでなく、そこにさりげなく、喜びや悲しみ、やさしさや、はかなさの人生の哀歓を盛り込む。じつにどんな対象にもいどみ、そして何でも描ける幅広い技術を手にしている画家ということができる。その対象の豊富さわかりやすさという点では、北斎や広重の浮世絵の系譜をひく大衆性もある。
「画家の条件は、物の形が正確に描けることだ」というのは、東洋、西洋を問わず、変わることのない古今の真理であるようだ。しかしまた現代は物の形を描けない画家が大変多いのも事実だ。その中で、物を描ける腕を持った画家、三栖氏は注目すべき画家の一人ということができる。そしてもっと注目すべきことは、彼が誰の目にもまごうことなき具体的正確な形象を媒体に、自分の思想、感情を訴えようと決意している明快な態度にある。自分が美しいと思うものは誰もが美しいと感ずるはずだ。その美しさを再現すればいい。画家はその発見の目と表現のワザを磨けばいい。その目も技もダメならば絵描きをやめてしまえ。大衆の目と心の共感を前提に、ただひたすら心に響いた感動の再現に全力を傾ける。だから作品にはまぎらわしい思わせぶり、あいまいもことした夾雑物は一切ない。目ざす目的にまっしぐら、清冽に表面が澄み切る。全力投球の面鏡そのものも壮烈ですがすがしい。こうした単純素朴、大らかなロマンをうたいあげる画風の三栖氏が評価されるのは、その背景にそれを求める時代の動向があることも見逃せない。
昨年銀座の日動画廊で安井曾太郎の滞欧時代の裸婦デッサンを中心に素描展が開かれて、学生たちの人気を集めた。正確、たんねんな追求ぶりが光彩を放って新鮮に見えた。明治以来の裸体デッサンは、それまでの日本絵画に欠けていた正確さの表現を養う近代絵画の基礎訓練として定着してすでに一世紀になる。
しかしその目的とした正確な描写の点では効果はどうなのだろうか。絵巻物などに描かれた線描の人物像の方が、現代作家よりもはるかに日本人の像を深くとらえていると思えることもしばしばある。抽象、前衛のブームが終息した今になって、浅井忠、黒田清輝、安井曾太郎...近代日本の油絵画家が開拓してきた具象絵画の方向は何をめざしたものであったか。日本の近代具象絵画にはとまどいが見える。
その混迷はそのまま抽象でなければと選考のワクを広げてきた安井賞展自体にも現われている。シュール、象徴、プリミティブ、童画、スーパーリアリズム、半抽象といった純粋幾何図形以外のほとんどの現代油絵の作風を網羅している。百人の画家が一人の裸婦を描いて、百の手法の具象裸婦の作品が登場する。具体的でないさまざまな具象の時代になっている。
そしてこれと並行して、近代の油絵摂取一世紀、日本の油絵に西洋ばなれ、土着化の傾向がきわ立ち始めている。大家たちの水墨南画風な油絵はますますふえ、若手たちは油絵具を使ってさまざまな伝統的な日本絵画の表現を試みている。水墨風、大和絵風、浮世絵風、様々な油絵日本画が輩出している。
いわば現代日本油絵は、具象Uターンといいながら具象絵画の明確な像が打ち立てられていない情況、西洋画一世紀でめ生えた西欧絵画表現の反省といった渾とんの時代を迎えているといえる。しかしこの多様さはずっと続くわけもなくやがていくつかの流れに分離していくだろう。多くの団体展やこの安井賞展にもその傾向のいくつかはすでに目立ちはじめている。その一つはプリミティヴ、童画風、その二つは幻想、象徴風、そしてもう一つがリアルな写実風だ。このリアルな作風には、枯れ野の女性像の北山巌、雪の里の葛西四雄、塗師祥一郎、今回の安井賞展の沢田憲良、張替真宏、伊牟田経正など各氏の作風も含めることができる。そして第19回目の安井賞にそのリアルな画風の代表格、三栖氏が選ばれた。この受賞は単に一人の優れた具象作家が世に送り出されたという以上に、現代日本油絵がめざす流れを鮮明に印象づけたといえるだろう。
次回は1979年「スペインを描く 三栖右嗣展」図録に掲載した、村瀬先生の「徒手空拳の快男児」をお送りします。byひらい