ナガールの花束 パート4
ブログの読者の皆さま、こんにちは。「次回はナガールでの三栖先生の取材の様子をお伝えします」と予告してから、ずいぶんたってしまいました。申し訳ございません。
さて、この超大作800号の「ナガールの花束」が発表されたのは、1985年。新宿の当時の伊勢丹美術館で開かれた「昨日・今日そして明日展」でのことでした。この展覧会について、美術評論家の村瀬雅夫先生が論評されています。当ブログに全文掲載することをご了承いただきましたので、ご紹介します。村瀬先生はご存知の方も沢山いらっしゃると思いますが、読売新聞美術欄を長く担当され、その後福井県立美術館長、渋谷区立松濤美術館長を務められました。三栖先生とは、公私ともに長い交友をむすばれ、その美術評は、深く三栖作品に切り込んでいます。
たくましく清冽 三栖右嗣展
絵画のたのしみ、素晴らしさを十二分に堪能させる──「昨日・今日そして明日─三栖右嗣展」は、ひさびさに近年まれなそうした充実感を与える。 空気まで真っ赤に染めて咲き乱れるケシ、陽光に輝くコスモス、水辺にゆったり咲き誇るボタン、人生の未来へ夢を宿す少年や少女の肖像、柔肌のみずみずしさがにおい立つ若い女性像や裸婦、厳かな老い、歴史の中に横たわるスペインの古い町並み、雄大な空の下の耕地──恐らくいつの世にも変わらぬありふれた日常の平凡な情景をかりて、画家はこの世に生を受け在るものたちの喜びの思いをつづる。優しいものも、雄々しきものも、可憐なものも、もろもろのものたちはこの世にたのしみを身いっぱいに受け、健やかであれ──画家の見事な筆技は、豊かな生命の流れをこまやかにすくいあげ、たたえ、目を喜ばせてこの世の素晴らしさに誘うようである。心たのしませる卓越した技量の背後には、たじろがず敢然と善きものを守りはぐくむ画人の意思の堅固さと偉大さもどっしりと巨人のように控えているようである。十年前の「海を描く現代絵画コンクール展」とその翌年の安井賞展に相次いで大賞を取り、五十歳に近く遅い画壇の人気を得て後も、画家は同じ作風を一心に磨き鍛え続けている。その十年の歩みも展望するこんどの個展には、現代でははやらない修練をうまず続ける画家の、ゆるがぬ信念や主張もひときわ明瞭になっている。その作品のひとつは、大作「ナガールの花束」だ。雪山に連なるパミール高原に生きる子供たちと花々が、まだ美しい地球の生を謳歌する。日本油彩画にかつてない群像人物表現は、おそらく現代屈指の水準だろう。展覧会の前日、会場に運びこまれた大作を壁に立て、画家はぬれタオルを頭に載せ、雪山に悠然と筆を加えていた。すでに円熟の境地に至っている画風は古今の巨匠の手から生まれる作品がもつおおらかな気品も備える。現代日本にこうした画家が生まれ、その作品を楽しめるのは同時代の大いなる幸せではあるまいか。
会場でも濡れタオルを頭になお加筆されている三栖先生の様子が目に浮かぶようですが、奥様にうかがったところでは、アトリエから絵を出す際にも、運搬の人々がアトリエに入るぎりぎりまで筆を持っておられたようで、油絵具の乾かぬ状態での運送は、きっと大変だったでしょうね。
ナガールに取材したこの年(詳しい年数は不明)は、イスラエル、パキスタン、スペインと三つの海外旅行を強行されたそうです。旅慣れた三栖先生は、秘境であるパキスタンのフンザ行に際しても、「僕はカレーが大好物だし、食べ物に関しては何の心配もない」と自信満々でいらしたようですが、日本のカレーと違ってかの地のそれは匂いがきつく、出される食物すべてまったく口にできず閉口されたそうです。「本当に弱り切っていましたよ」とは同行された奥様の弁です。
フンザからナガールに抜けるには、深い渓谷をのぞむ斜面に切り開かれた隘路を、小型の中古のジープで進むのだそうです。片側はそり返るような急斜面、反対側を見下ろせば千尋の谷です。(どんなに恐ろしい道中だったかは、同じ道を通った宮本輝著「ひとたびはポプラに臥す」文庫本の第六巻72頁からをお読みください。私はこのブログを書き始めてから偶然この本を読んでいて、82頁に突然「そこはナガールという村で」というくだりに出会い、びっくり仰天してしまいました)
三栖先生は恐れ気もなく、悠然と巨体を狭いジープの座席に沈めていらしたそうです。遥か谷底の川面の青いきらめきや、カーブを切るごとにあらわれる白い峰々を、画家の目で観察していらしたせいかもしれません。到着したナガールで、先生はひときわ人々の目を引いたに違いありません。好奇心に溢れた少年たちが遠巻きにし、やがてその眼差しに引き寄せられるようにして近寄ってくる......そんな光景があったでしょう。少年たちはこの巨きな人物が画家であることを知ると、花を摘んでは持って来てくれたそうです。そして、一人ずつ、嬉々として自分が描かれる順番を待ったのでしょう。
800号の「ナガールの花束」には、20人の少年が描かれていますが、20人が一斉に並んだのではなく、過去の「海の家族」での人物構成にみられるように、土地をたがえ、時を隔てて取材してきた人々を、一枚の画布の上に再構成する、という手法で描かれたものです。 いつの日かこの大作をこの美術館で展示できるといいのですが...。
byひらい 三栖先生の写真撮影は、カメラマンの高尾晴一氏です。