プロフィール
三栖右嗣氏(みすゆうじ)記念館は敷地内のシンボルツリーや新河岸川沿いの桜並木など、サクラとはなじみの深い美術館です。スタッフがブログを通じて、さまざまお知らせを提供し、さくらのように愛される美術館づくりをめざしています。
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スタッフブログ

ヤオコー川越美術館三栖右嗣記念館スタッフによるブログです。

2012年5月23日 のアーカイブ

三栖右嗣エッセイ 沖縄の海とサバニ


10年の沈黙を破った三栖右嗣は、精力的な制作を開始し、北海道シリーズ、リンゴ園シリーズ、海のシリーズなどの連作を世に問います。なかでも「海」は、画家が長年心に温めていたモチーフで、北海道や千葉、沖縄の海を取材し続けていました。

千葉の漁師の吉宗さんは、「かもめとキッツォ爺さん」のキッツォさんのモデルとして有名ですが、沖縄でもたくさんのご友人との交流が生まれたようです。

そんな折、1975年の沖縄海洋博記念「海を描く現代絵画コンクール」に、画家は100号の「海の家族」を出品し、4000点にのぼる応募作品の中から、見事、最高賞のグランプリを受賞したのは周知の通りです。

ところで、三栖右嗣は文章はあまり多く残していません。そんな数少ない中からエッセイ「沖縄の海とサバニ」をご紹介します。多少長めのエッセイですが、それだけに画家の温かいお人柄と、たくまざるユーモアを満喫して戴けることと思います。by平井

 

沖縄の海とサバニ

酒を酌み交わす親友S氏は沖縄宮古島の生まれである。彼の幼い頃、子供達はたまに海岸に流れつく椰子の実を拾い、その果汁を飲むのが楽しみだったという。

その頃は今の都会のように洒落れた菓子等が山とあふれていた時代とは違う。しかも南海の孤島のことだから甘いものといっても数少ない菓子類と畑の糖黍をかじるしかなかったのかもしれない。なにしろたまに夜のうちに一つ位流れつくものらしいから、早い者勝ちでよほど早起きしなければ誰かに拾われてしまうので、眠い目をこすりながら出かけたものだという。

彼の童顔と丸く太った体つきを見ていると、幼いころのまっ黒に陽焼けした丸顔に、つぶらな目で寝床からむっくり起き上がって出掛けていく彼の姿が手にとるように私の瞼に浮かんでくるのであった。

──白々と明ける海岸を丸くなって駆けて行く、遙か波打際の椰子の実を拾い上げると子供は珊瑚礁の鋭く尖った岩に打ちつけ、飲み口を作るとその甘い果汁を一口飲みホッと呼吸を吐くと、放心したように海の彼方をみつめる──。

そんな情景と"名も知らぬ遠き島より流れよる椰子の実ひとつ"とあの「椰子の実」の歌がダブってくる。子供心にも日頃、齧じり馴れた糖黍の甘さと違った名も知らぬ遠い島の甘いロマンを小さな咽に感じていたのかも知れない。そしてその実は、長い波枕を重ねて表皮にタカツメ(現地の呼び名)の貝を寄生させてトゲトゲをいっぱいつけていたという。歌の椰子の実もそんな姿であったろうか──。したたかに酔った私はその椰子の実の果汁のように甘い感傷を味わっていた。

私のなかに沖縄の思慕が生まれはじめたのはそんなことがあってからのことであった。

初めて尋ねた沖縄で、私はサバニの魅力にといつかれてしまった。サバニは当地の漁舟で、1975年に開催された海洋博のポスター等で記憶にある人もあるであろう。舟尾は鋭角的な逆三角形で、舟底は殆んど無く舟首にかけて鋭く尖り、一見不安定と思われるが海を走れば外の舟に比べて安定度は高い。それに張りを持った魅力的なふくらみのあるカーブは、外のこの種の舟にはない。彼等の海の漁法に叶った機能の追及の結果なのだろう。

自然と漁師達との戦いの中から不要なものを全部削り去るまでの永年の間には、漁師達の尊い幾つかの命も奪われたことであろう。まさに形の追及の極と言うべきだろう。機能の極は美に通じるとはこのことなのであろうか。その小さい舟体を塩水から守るため鮫の油を塗り重ね、茶褐色に染めた精悍なこの木造舟はなんと美しい形であろう。

その後、何回かの沖縄行きも、風景を求めてというよりサバニに逢いに出かけて行くと言った方が当っている位であった。近ごろは少し大型になりエンジンをつけたり、化学塗料を塗ったりしてつまらないものも多くなったが、最も原始的なサバニを求めて島を尋ねるのが楽しみである。

昨年の夏、離島に渡って夜釣りの舟を頼んだ折、いいサバニに乗ることができた。漁師からサバニの話を聞きながら夜釣りを楽しんだ。ところが涼しかったせいか、途中で小用を足したくなってしまった。

私の体重は百キロを越す始末なので,漁師とS氏に舟の片方に寄ってバランスをとってもらい、用を足すことにしたが、舟はなにしろ鋭い逆三角形である。そり返って腰を突き出すと、彼らは精一杯ふん張ってバランスをとってくれるのだが、徐々に体重を前にかけてゆくと私の重みで舟端が海面すれすれになる。2対1でいい勝負なのである。少しのショックでも舟から飛び出して真っ黒な海に飛び込みそうである。

「こんなこっちゃ、絶対にひっくり返らんから大丈夫だよ」とかえってくる。その確信にみちた響きにすこし大胆になった私は、まことに不安定なへんな恰好で何とか用が足せ「ホッ」としたものだ。

二人に、その私のおかしな恰好と目方の重さをさんざん冷やかされたが、思わぬことで舟の安定性を体験できて、

「さすがサバニ!」と内心大いに満足であった。「利根の川風たもとにいれて......」と浪曲に唄われた利根川に、その川辺で繁っている笹で作ったような舟底の平らで浅い木舟が似合うように、苦しみも悲しみも緑色に溶かし込んでしまうような、あの底ぬけに明るい沖縄の海には、その自然のなかで生まれたあの黒々として精悍な風貌をしたサバニが、風景としてもやはりピッタリなのである。            三栖右嗣