プロフィール
三栖右嗣氏(みすゆうじ)記念館は敷地内のシンボルツリーや新河岸川沿いの桜並木など、サクラとはなじみの深い美術館です。スタッフがブログを通じて、さまざまお知らせを提供し、さくらのように愛される美術館づくりをめざしています。
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スタッフブログ

ヤオコー川越美術館三栖右嗣記念館スタッフによるブログです。

三栖右嗣の足音 vol.2


  三栖右嗣は2010年4月18日に、83歳の誕生日まであと7日を残して世を去りました。享年は82歳ということになります。その長い画業を、これまであまた書かれた評論その他の文章を通じてご紹介したいと思います。当時の文章を加工せずそのまま読むことで、時代背景や、描かれたばかりの絵を見たときの人々の高揚した気持ちを、そのまま味わっていただけるのではないかと考えました。語られた膨大な言葉の海の中から立ちあがってくる三栖絵画の真髄を堪能なさってください。

徒手空拳の快男児

                                1979年 村瀬雅夫

 痛快迫真の作風で現代画壇に抜群の力量を発揮している三栖右嗣は現代では"異色"の画家だろう。ともすれば団体に所属して一歩一歩画壇出世を心がけ、売り絵のために初志を歪げるサラリーマン化平均化した芸術界の大勢をなげき憂い、温厚な百キロの肥満体を創造者の気概と誇りで満たした型破りの画家の一人であって、死語になりかけている絵馬鹿がまだ当てはまるかもしれない。

 東京芸術大学卒業。しかし芸術界の通行切符としていまや有用な肩書を利用した形跡はない。その逆に、学校で教えられたものは創作と無縁と言い切る。年々の発表もやめて修験者のように黙々と芸風開拓に邁進し、40代で発表を再開すると一挙に「海を描く現代絵画コンクール」「安井賞」を連続受賞した。誰が見ても文句ない受賞で、現代美術界の最高賞を軽々とさらったという印象だった。

 そして52歳の今年、スペイン個展を試みた。「日本で認められ、高い金で絵が売れてもしょうがないじゃないですか。世界の芸術がこれだけ一体化した現代、外国の風物を描いて日本だけで見せたり、外国風のスタイルを真似て日本でいばっても何にもならん。世界に通用しなければ芸術家として意味がないのではないか。今や世界は一つです。ゴヤやベラスケスからピカソを生んだスペインを描いて、まずそのスペインの人びとに評価を受けたい。同時代の芸術家としてモデルになってくれたスペインの老人や女性たちに理解してもらえるか。マドリッドの個展は、その試みの手始めです」とその理由を語っている。

 国内での二つの賞も、挑戦してもぎ取った武芸者の道場破りの趣があったが、スペイン展はさらに身一つでの世界への挑戦となった。そして永遠の挑戦―これが三栖氏の本領、本性であるらしい。昨年数カ月のスペイン取材制作で、三栖氏は「体も心もすっきり引き締まり若返りました」と格闘者の表情に戻してはつらつと帰国し、個展の準備を進めた。「成果は大したことないと言われるかもしれませんが、この次の構想も出来上がりました。進むのみです」と語る。

 「アジアは一つ」と岡倉天心が言った一世紀後の日本から世界に打って出る試みは、壮たりと言える。荒海を切りさく竜骨のように独力勇往する現代画壇にまれな姿勢が、凛呼さわやかな作風と無縁ではないだろう。

 スペインの初個展は、マドリッド中の芸術評論家、画家が訪れ見にくるべき人で来ない人はいないという盛況だった。テレビ、ラジオにひっぱり出され、画廊は人であふれ、絵も見えないほど。なんとかゆずれと毎日作者の気の変わるのを期待してねばるファンもできた。「やはりやってみてわかってもらえる。人間は同じだと確信が湧きました」と語っているが、ユーラシア大陸の東のはての画家の心意気が、西のはての人々の心を打ったからに違いない。無題.JPG

 さて、これまで2回の「足音シリーズ」では、1975年の「海を描く現代絵画コンクール展」1976年の「第19回安井賞展」と二つの大賞を受賞し、またたく間に日本の洋画壇をかけのぼった雄姿をご紹介しました。しかし三栖右嗣にも、世界の偉大な画家たち同様、世に出るまでの様々な苦節がありました。次回は1945年から1975年まで、18歳から48歳までの、みずみずしい才能の赴くままに苦闘した、若き日の三栖右嗣を展望した「三栖右嗣作品選集」からお送りします。お楽しみに。byひらい