プロフィール
三栖右嗣氏(みすゆうじ)記念館は敷地内のシンボルツリーや新河岸川沿いの桜並木など、サクラとはなじみの深い美術館です。スタッフがブログを通じて、さまざまお知らせを提供し、さくらのように愛される美術館づくりをめざしています。
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スタッフブログ

ヤオコー川越美術館三栖右嗣記念館スタッフによるブログです。

‘日記’ カテゴリーのアーカイブ

三栖右嗣の足音 Vol.3-1


 三栖右嗣は2010年4月18日に、83歳の誕生日まであと7日を残して世を去りました。享年は82歳ということになります。その長い画業を、これまであまた書かれた評論その他の文章を通じてご紹介したいと思います。当時の文章を加工せずそのまま読むことで、時代背景や、描かれたばかりの絵を見たときの人々の高揚した気持ちを、そのまま味わっていただけるのではないかと考えました。語られた膨大な言葉の海の中から立ちあがってくる三栖絵画の真髄を堪能なさってください。

 

三栖右嗣作品選集1945~1975 より  監修・文  村木明

三栖右嗣の人と作品

 三栖右嗣は、1927年(昭和2年)厚木市に生まれたが、のち埼玉県和光市に移りそこに住み着いたまま今日にいたっている。父は機械技師で頑固一徹なところがあったが、母は愛情細やかで思いやりがあり人びとから慕われていたという。早逝した長兄は、音楽をたしなみ小説を書く文学青年であった。次男の彼は、兄の影響を受け早くから絵に親しんだ。父に似ず二人の芸術家志望の息子を抱えた母は、「茄子の木に瓜がなった」と人に語っていた。他に二人の姉がいるが、いずれも近隣に嫁いでいる。やがて画家となる彼は、仕事における頑固一徹さを父から譲り受け、生活人としての人情に篤い寛大な性格を母から受け継いでいた。

 1945年東京芸大に入り、安井教室に学んだ。東京芸大入学は母の口添えによるもので、父は渋々それを承知したという。在学中からすでに抜群の才能を見せ、同期の浮田克躬や本山唯雄らは彼に一目置いていた。45年の「デッサン」、46年の「エチュード」、47年の「ひなげし」は在学中の作品である。51年の卒業制作(卒業が2年遅れていたのは卒業制作を出さず、好きな制作に夢中になっていたからだ)は、「自画像」と「ある友の肖像」の2点で、すでに画家の並々ならぬ才能のきらめきをのぞかせている。二点ともほとんど一昼夜で一気に描き上げたというから、彼の旺盛な筆力のほどがうかがわれる。ある友の肖像当館蔵ブログ用.JPGひなげし12f.JPG

 1955 年の「室内」は、師の安井曾太郎や硲伊之助の主宰する一水会展に初出品した作品で、会場を訪れた小磯良平は暫く彼の作品の前に佇んだという。確かなデッサン力と手堅い画面構成のこの室内画は、後年の小磯良平の作品を連想させるものがある。56年の「窓辺」は、今は亡き母の在りし日の肖像で、椅子に腰をかける横向きの母を描いた作品は、温厚で気品に満ちたその人柄を的確に捉えている。57年の「マリー」(ちなみにモデルとなったお嬢さんは、三栖右嗣画伯の姪御さんで、ご本名はマリイちゃんだそうです:美術館註)、58年の「外川」はそれに続く作品で、絵具は薄塗りで温和な画風を感じさせるが、その非凡な写実力はいずれの作品にもはっきりと読みとれる。マリーブログ用.JPG室内当館蔵ブログ用.JPG

 が、60年代に入って抽象の嵐が押し寄せ、画壇が抽象絵画に傾いていくと、写実主義を生きてきた彼は制作の意欲を失い、また抽象一辺倒への反撥から作品発表を中止してしまった。彼の沈黙はそのまま10年間続くが、その間の61年に描いたデッサンが残っている。写真図版の示すように、卓越したデッサン力を彼は修得していた。デッサン2.JPGデッサン1961年.JPG

画壇への再登場

 1960年代の抽象・前衛の波が去って、リアリズム絵画の復権が問われ出した70年頃より、彼は再び絵筆をとってキャンバスに向うようになった。60年代の沈黙の10年間はさる映画会社の宣伝部に籍を置き、作品発表こそはしなかったが折りに触れて絵は描いていたし、いまひとたび画壇に復帰する機会を待っていた。70年代の声をきくと、ようやくにして訪れたリアリズム復活の声に刺激され、彼は猛然と描き出した。

 折しも日本の美術市場は空前の絵画ブームのきざしを見せ、日本洋画壇は新鋭作家の出現を待望していた。そうした状況下にあった1971年に、彼は銀座の中央美術画廊と日本橋の柳屋画廊で続けて個展を開き、さらにその年日本洋画壇新鋭作家展にも出品するという精力的な仕事振りを見せ、リアリストの新鋭として注目を集めた。彼のかっての同僚たちはすでに画壇の中堅にあってそれぞれに人気を得ていたが、彼はそれには目もくれず、マイ・ペースで制作に励んだ。

 描き出すと、物を見る感も筆力もすぐ戻ってきた。彼は一般の人気作家のようにパターンとなるような作品か描かず、一作毎に新しい造形をめざした。作品は少しずつ売れたが、取材費はそれを上回った。それでも彼は納得のいく作品を、なによりも絵を描こうとして、来る日も来る日もキャンバスに向った。

北海道シリーズ

 その頃の制作には、北海道に取材したものが多い。小樽、シャコタン、雪の原野を多数描いている。また木曽路に取材した作品もある。その大半は風景で、手堅い写実力とダイナミックな画面構成で、リアリズム絵画を追求した作品は、その強靭なマチエールに支えられて迫力ある画面となっている。茶褐色を基調に、雪の風景では白を効果的に使って、北海道の風土性をよく生かしている。

 1972年には、前年に描いた「シャコタンの漁村」が安井賞展に入選したのをはじめ、銀座の飯田画廊企画の「形真展」に出品し、秋には同画廊で≪北海道シリーズ≫の個展を開いた。そのほか新世代展にも出品し、前年に引き続き精力的な仕事を続けた。そんな彼のひたむきな制作振りを励まし、彼の大成を祈っていたのは、すでに80歳をこえて病がちな彼の母であった。父はすでに亡くなり、母子水入らずの二人暮らしで、彼はいわゆる世間的気苦労はなく、制作に専念することができた。

 個展で発表した「オホーツク」「木曾」「街角(小樽)」「新聞と雑草」などは好評を得た。こうして画壇の一角に名を知られたとはいえ、無所属作家が認められるには、日本画壇の特殊事情だけに手間どった。72年の暮、彼はヨーロッパとアメリカに旅行し、フィラデルフィアではアンドリュー・ワイエスに会った。オホーツク当館蔵ブログ用.JPG

リンゴ園シリーズ

 新作の発表ごとに新しいテーマに取り組んでいこうと考えた彼は、「北海道シリーズ」の個展を終えた1972年の秋から信州通いをはじめた。「リンゴ園シリーズ」の構想が浮んで、リンゴを描きはじめたのである。リンゴといえば一般的にはセザンヌをはじめとする多くの画家によって試みられている卓上のリンゴ、つまり静物画を連想する。

 が、彼は大自然の中のリンゴを考えた。それは彼がつねに人間の肌合いを感じさせる生活の中に作品の発想を求めてきたというその制作態度に結びついている。彼が取材に時間をかけ、納得いくまで物を凝視し続けるのはそのためだ。だからといって、彼は決して自然を写生しているわけではない。大自然の中にある生命の躍動、生きているものの声をよみとろうとするからだ。そうした対象の実在をいかに画面に表現するかに、彼の造型思考はあった。その一つの帰結が、風景の中の静物と云う発想であった。

 「二つのリンゴのある風景」「雪の消える頃」「リンゴ園」「枯草の上のリンゴ」「リンゴのある風景」などはその代表的作品で、1973年6月の個展にまとめて発表された。それは単なる風景でも静物でもないユニークな「リンゴ園シリーズ」であった。またリンゴの背景の雑木林の処理に一時ワイエスの影響が現われたのはその頃のことだ。雪の消える頃ブログ.JPG

 シリーズはこのあと、「海のシリーズ」「日本の四季シリーズ」と続いていくことになります。評論家、村木明先生の明解な解説でお送りしております。どうぞ次回をお楽しみに。byひらい

 

 

 


全国からお客様が...第三弾


白地図1025.JPG

ブログをご覧いただいている皆様、こんにちは!

前回、お客様のご来館地図をご紹介してから六か月たちました。

あれから岩手、長野、静岡、三重、香川、徳島、熊本、長崎からのお客様がお見えになりました。

来春、桜が咲くころには、この日本地図もぜ~んぶ、ピンクに染まるでしょうか?

とても楽しみです。

どうか、〇〇から来たよ、とお声掛けください。お待ちしています。

 


jazzとbossa nova、そして爛熳と・・・


10月19日(土)、お天気はあいにくの雨・・・。

せっかくの川越まつりも雨の中。残念でしたね。

ミニコンサートは開館以来8回目となりました。毎回たくさんのお客様に御来館いただいております。

今回は「ジャズ&ボサノバ」でした。諸星裕美さんの優しいヴォーカル、北川伸一さんのセンス抜群のギターと共に名画「爛熳」もさらに輝いて夕方の心地良い時間を皆様と過ごしました。ディズニーの名曲「星に願いを」や「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」「スマイル」などボサノバ調にアレンジをして歌ってくださいました。諸星さん5.JPG諸星さん8.JPG

雨の中 足を運んで下さいました皆様、ありがとうございました。 

 

次回は12月21日(土) 下山英二さんのピアノ(キーボード)コンサートを予定しております。クリスマスソングも聴けるかも・・・♫ どうぞ お楽しみに!!

                               by わたなべ


黄昏の秋をみなさまへ


こんにちは。

今年の夏は暑かったですね。季節の変わり目で体調を崩されている方も多いのではないでしょうか・・・。

美術館も秋色展示に替わっていますよ。おいしいおはぎと温かいお飲物でゆっくりとお過ごしください。翌日からは心もからだも元気、元気ですよ!!

日が沈むのが早くなりました。昨日、帰り際にお庭を散歩したらこんな光景が!!

池に夕日がとてもきれいに映り込んでいました。夕ぐれの美術館2.JPG

夕方5時を過ぎると美術館はライトアップします。お散歩がてらご覧になってください。夕ぐれの美術館1.JPG

芸術の秋到来です! 皆様のお越しをおまちしております。     by わたなべ

    


せきれい物語


せきれいロボット.JPGカラス: あ、あれぇ? 君、もしかしたらせきれい君?

せきれい: え? ぼくだよぉ、やだなあ、カラス君。わかんないかい?

カラス: だって、なんだか印象かわったよ。

せきれい: うふっ。ぼくさ、ちょっと大人になったんだよね。羽の色がこくなったでしょ。

カラス後姿.JPGカラス: ふ~ん...

せきれい: ふ~んって、なにさ。もしかして「大人になったらますます手に負えな    くなるぞこいつ」とか思ってるんじゃない?

カラス: あっはっはぁ、その物言いはやっぱり君だったね。いやどうも、おみそれしたよ。なんだかこのごろ、見慣れないせきれいがやって来るんで、もしかしたら、君が彼女と待ち合わせしてるのかなって...思って。いやいや、ふっふっふっ。

せきれい: なに?その、ものすご~く嬉しそうな笑い方は。あ、わかったぞ。氷川神社に住まいするカラス君。 確か神社の杜には五羽のカラスがいるね。仲睦まじい二人が二組いてさ、残りの一人が、いっつもがぁがぁと、ご神域の静寂をかき乱している。あれが、君だったんだね。一人さみしく無聊をかこっていた君は、やっぱりいつも一人の僕を見て、わが身を慰めてたんだろう。「あの素敵なせきれい君にも、彼女が居ないくらいなんだから、まして、声のでかいのだけが取り柄の僕なんかには、いなくて当然なんだ」ってね。あぁ、それなのに、このごろ来る見慣れない美しいせきれいが、あの口やかましいやつの彼女なのかもしれないと、羨ましさに気も狂わんばかりになっていたところが、違った!それで思わず笑いがこみあげ...

カラス: ストップ、ストップ。細かい描写では、君は思い違いをしてるけど、まあ大筋では合っているから、僕はなんにも言わないよ。

せきれい: ふん、もっと君の心的苦悩を解明してあげたいんだけどな。

カラス: ところでさぁ、話しは変わるけど、鴨くんたち、この夏は帰らず滞在しているんだね。

せきれい: あ、あのカップルね。なんかね、親類やお友達も、もうシベリアには帰ってないらしくて、自分たちも定住することに決めたったてさ。 

カラス: 川越っていいとこだもんね。

せきれい: そうそう、ちょっと足を伸ばせば伊佐沼にいって、白鷺君たちともあそべるしね。

カラス: あれやこれや...

せきれい: あれやこれや...

せきれい駆け足.JPGからす修正.JPG

 

 

 

 なんだか、いつになく睦まじく語り合って尽きることのない二人でした。byひらい


美しいハーモニー・・・ポコ ア ポコ ♫


9月14日(土)、透きとおった女性コーラスのハーモニーが美術館内いっぱいに響きわたりました。

コーラスグループ「ポコ ア ポコ」のみなさんの歌声です。コーラス1.JPG

オープニングはモーツアルト「五月のうた」。 とても素敵なコンサートが始まる予感がしました。

そしてスキャット、日本の童謡、世界のうた、日本のうたと溢れるほどのハーモニーでお客様は心地良い時間を過ごされたと思います。

最後はみなさんとご一緒に歌うコーナーも設けて下さり、「おお シャンゼリゼ・故郷・夏の思い出」を 大きな声で合唱しました。これがまたすばらしく幸せいっぱいの歌声でした。コーラス2.JPG

お集まりくださいました皆様、「ポコ ア ポコ」の皆様 ありがとうございました。

絵画と音楽の美しいハーモニー、次回は10月19日(土)「ジャズ&ボサノバ」をみなさまにお届けいたします。

どうぞお楽しみに♫      by わたなべ


三栖右嗣の足音 vol.2


  三栖右嗣は2010年4月18日に、83歳の誕生日まであと7日を残して世を去りました。享年は82歳ということになります。その長い画業を、これまであまた書かれた評論その他の文章を通じてご紹介したいと思います。当時の文章を加工せずそのまま読むことで、時代背景や、描かれたばかりの絵を見たときの人々の高揚した気持ちを、そのまま味わっていただけるのではないかと考えました。語られた膨大な言葉の海の中から立ちあがってくる三栖絵画の真髄を堪能なさってください。

徒手空拳の快男児

                                1979年 村瀬雅夫

 痛快迫真の作風で現代画壇に抜群の力量を発揮している三栖右嗣は現代では"異色"の画家だろう。ともすれば団体に所属して一歩一歩画壇出世を心がけ、売り絵のために初志を歪げるサラリーマン化平均化した芸術界の大勢をなげき憂い、温厚な百キロの肥満体を創造者の気概と誇りで満たした型破りの画家の一人であって、死語になりかけている絵馬鹿がまだ当てはまるかもしれない。

 東京芸術大学卒業。しかし芸術界の通行切符としていまや有用な肩書を利用した形跡はない。その逆に、学校で教えられたものは創作と無縁と言い切る。年々の発表もやめて修験者のように黙々と芸風開拓に邁進し、40代で発表を再開すると一挙に「海を描く現代絵画コンクール」「安井賞」を連続受賞した。誰が見ても文句ない受賞で、現代美術界の最高賞を軽々とさらったという印象だった。

 そして52歳の今年、スペイン個展を試みた。「日本で認められ、高い金で絵が売れてもしょうがないじゃないですか。世界の芸術がこれだけ一体化した現代、外国の風物を描いて日本だけで見せたり、外国風のスタイルを真似て日本でいばっても何にもならん。世界に通用しなければ芸術家として意味がないのではないか。今や世界は一つです。ゴヤやベラスケスからピカソを生んだスペインを描いて、まずそのスペインの人びとに評価を受けたい。同時代の芸術家としてモデルになってくれたスペインの老人や女性たちに理解してもらえるか。マドリッドの個展は、その試みの手始めです」とその理由を語っている。

 国内での二つの賞も、挑戦してもぎ取った武芸者の道場破りの趣があったが、スペイン展はさらに身一つでの世界への挑戦となった。そして永遠の挑戦―これが三栖氏の本領、本性であるらしい。昨年数カ月のスペイン取材制作で、三栖氏は「体も心もすっきり引き締まり若返りました」と格闘者の表情に戻してはつらつと帰国し、個展の準備を進めた。「成果は大したことないと言われるかもしれませんが、この次の構想も出来上がりました。進むのみです」と語る。

 「アジアは一つ」と岡倉天心が言った一世紀後の日本から世界に打って出る試みは、壮たりと言える。荒海を切りさく竜骨のように独力勇往する現代画壇にまれな姿勢が、凛呼さわやかな作風と無縁ではないだろう。

 スペインの初個展は、マドリッド中の芸術評論家、画家が訪れ見にくるべき人で来ない人はいないという盛況だった。テレビ、ラジオにひっぱり出され、画廊は人であふれ、絵も見えないほど。なんとかゆずれと毎日作者の気の変わるのを期待してねばるファンもできた。「やはりやってみてわかってもらえる。人間は同じだと確信が湧きました」と語っているが、ユーラシア大陸の東のはての画家の心意気が、西のはての人々の心を打ったからに違いない。無題.JPG

 さて、これまで2回の「足音シリーズ」では、1975年の「海を描く現代絵画コンクール展」1976年の「第19回安井賞展」と二つの大賞を受賞し、またたく間に日本の洋画壇をかけのぼった雄姿をご紹介しました。しかし三栖右嗣にも、世界の偉大な画家たち同様、世に出るまでの様々な苦節がありました。次回は1945年から1975年まで、18歳から48歳までの、みずみずしい才能の赴くままに苦闘した、若き日の三栖右嗣を展望した「三栖右嗣作品選集」からお送りします。お楽しみに。byひらい

 


一建築家の熱意


8月22日(木)夕刻、遠く青森から若い建築家のMさんがご来館されました。

Mさんは青森でお父様と一般の民家も手掛けられる、建設会社を経営されています。ご本人は一級建築士の資格をお持ちで、以前から伊東豊雄先生の建築に惹かれ、先生の講演会にも出席されその際先生とお話もされたとのこと。またスペインまで先生の作品を見学に行かれたこともある熱烈なファンなのです。先生の「自由な発想と使う人に対する優しさ」を、自分の民家を始めとする建築に生かしたいと、熱く語られたのが印象的でした。ご来館の際、当館の「お客様の声」ノートに以下のメッセージを残されました。「青森からきました。とてもすばらしい!!RCなのに、自然の中にいるような建築におどろいています。またきたいです。」(原文のまま)

30分くらいの短い時間でしたが、会話の中からMさんの建築に対する熱意が伝わってきました。Mさん遠くからのご来館ありがとうございました。

                                by うたむら


三栖右嗣の足音 vol1


 皆様こんにちは。いつもスタッフブログをご覧いただきまして、本当にありがとうございます。今日から、三栖右嗣についての評論その他を、連載の形でご紹介いたします。

 三栖右嗣は2010年4月18日に、83歳の誕生日まであと7日を残して世を去りました。享年は82歳ということになります。その長い画業を、これまでにあまた書かれた評論その他の文章を通じてご紹介したいと思います。当時の文章を加工せずそのまま読むことで、時代背景や、描かれたばかりの絵を見たときの人々の高揚した気持ちを、そのまま味わっていただけるのではないかと考えました。語られた膨大な言葉の海の中から立ちあがってくる三栖絵画の真髄を堪能なさってください。

 まず最初にご登場いただくのは、村瀬雅夫先生です。村瀬先生は1939年のお生まれ。東京大学文学部在学中から、近代日本画の巨匠川端龍子率いる青龍社展に作品を出品。大学卒業後は読売新聞社に入社、文化部美術記者として活躍するかたわら、日本画家、文筆家としても独自の創作活動を続ける異色の存在でした。新聞社を定年退職されたのちは、明治大学講師、福井県立美術館館長、渋谷区立松濤美術館館長を歴任され、深い学識と洞察力からユニークな数々の絵画展を企画立案され、多才かつ多彩な活動家として知られてきました。

 大変残念なことに、村瀬先生はこの6月20日に、70代なかばでお亡くなりになりました。三栖先生とは、画家と評論家というだけでなく個人的にも深い友誼を結んでこられた村瀬先生の早すぎる死に、私どもは深い悲しみに沈んでいます。村瀬先生は、当美術館立ち上げの際の監修にご尽力くださいまして、美術館運営に関する詳細かつ具体的なレクチャーをしていただきましたが、その中で忘れられない先生の言葉があります。

 ヤオコー川越美術館にお越しの皆様にはお気付きのことと思いますが、当館に展示されております三栖作品にはすべてアクリルが入っておりません。多くの方々が「それは危険ではありませんか」との懸念を示されました。が、村瀬先生は、「これだけの作品です。三栖右嗣の絵を目の当たりにして、なおこれを傷つけようとする人はいない、そう信じて運営していってください」とおっしゃいました。その時の先生の静かな表情が深く心に残っています。最後にお電話した際にこういう企画を考えているとお話しすると、即座に私の文章はどれでもどうぞお使い下さいと言ってくださいました。

 さて、それではいよいよ三栖右嗣の足跡をたどっていくことにいたしましょう。

 

村瀬雅夫 第19回安井賞展  ―現代具象のロマン志向━  1976年

 ことしの安井賞が三栖右嗣氏に決まった時、「コツコツ具象を追求している人が受けたのに共感した」「正統派の良さが評価されることは大変良い傾向ではないか」という声をずい分聞いた。いままで、安井賞が決して悪い作品、質の低い作家に与えられてきたはずもないのだから、これは具象絵画への世間のムードが変わりはじめたことを示すものだろう。老いる.JPG

 受賞した三栖氏の作品は二点とも褐色のトーン、リアルな老人の裸婦像だった。大賞の「老いる」は座った上体をヒザの上に折り曲げ、白いシーツをかき寄せ、うつ向いた老婆の背から肩、腕の乾いた肌と深いシワが痛々しく、シーツの鮮明な純白が人生の歳月の悲しさも深々と訴える。生きる.JPG「生きる」はベッドに横たわる老婆。いずれの作品も思わず目をそらしたくなる老いの姿を鋭くつきつけるきびしさを持つ。しかし明るいハニワ色の暖かみのある肌の色、太陽の光があふれる澄んだ色調の画面をしばらく見ているうちに、誰しもが持つ宿命の老いを見つめる作者の静かな心と最も身近で単純な人間という対象によって、一つの造形世界をうたいあげようとする明確な画家の意志が脈打っていることが見て取れる。そしてやがて雪どけの春の大地から湧き上がるかげろうのように、人生賛歌の高らかなロマンの響きが聞こえてくる。老婆のモデルは八十歳を越し、先年亡くなった作者の実母である。母親への思慕の予期せぬ効果が、大賞受賞に大きく働いたのかも知れない。 三栖氏はやはり人物像「海の家族」で、昨年の「海を描く現代絵画コンクール展」の大賞を獲得している。これも沖縄の明るい海と砂浜、漁船をバックに、海の人そのものといえる年老いた赤銅色のシワ深い老人を中心に、その嫁、ほとんど海とは無縁にこれから成長しそうな元気な子供二人の一家の群像。干してある漁網とオカッパ頭の女の子の黒髪が浜風になびき、強烈な日射しの中の海に生きる家の表情を見ているうちに、人間の持つ生のやるせない無常感、それ故一つ家に共に肩を寄せ合う生活のいとおしさもジーンと伝わる。海の家族キャプション付き.JPG

 画風は写真のようにリアル。パレットナイフで絵具を塗り、細部までシャープで明快、誰が見ても誤解しない。狂いない対象把握と再現手法、そしてそこにはそれを描こうとした作者の意図と感情が明確だ。現代絵画の大方の風潮、形も不明確、何を伝えたいかわからない絵画の中にあって、きわめてわかりやすい歯切れのよい画風だ。

  作風とはまったくかかわりのないことだが、作者はでっぷりと中年太り。指先までまるっこく、こんな指先で、どうして髪の毛一筋、シワ一本の細かい描写が出来るかと思うほど。まん丸の顏に埋まりかけた目が、しばたく男ざかりの49歳。酒好き、独身、「さびしい、さびしい」と夜の街を飲み歩く。マジメ画家の多い現代ではやはり型破りの作家に属する。「何気ない光景の中に恐るべき真実があるのではないか。それを見い出して描きたい」と語り、「描写力ではオレは誰にも負けない」とも自負する。人を感動させる絵を描くことに情熱を持ち、その精進だけに興味をかきたてる熱血の絵描き、現代の物分りのいい社会では時代錯誤の絵バカとも言えそうな絵描きらしい絵描きでもある。

 その画家としてのなりたちは1951年東京芸大卒、安井教室で学んでいる。卒業後は一水会に出品したが、60年から70年まで10年間作品発表を一切やめた。映画看板描きもやったといわれるが、しかしこの時期に、現代的で平明、普遍的でもある強靭な描写表現の基礎がつちかわれたことは疑いがない。再び無所属で個展を開きはじめたころ、ワイエス展が日本で大評判、リアルな写実がワイエスと比較されたりした。

 ここ数年は、リンゴ畑や漁船もテーマにしてきた。リンゴ園では敷きワラ一本、赤いリンゴにふく白い粉、白い幹、 土の匂いまで、漁船でははげ落ちたペンキ、赤錆びた鉄板の鋼鉄のたくましさ、風雨にさらされた板のあせた感触、さらには船にひきあげられた魚のウロコのぬめりと生臭い匂いまでトコトン物の姿を描きわける。その一方、春の夕ぐれ、川の岸辺に渡し舟を待つ農婦に、日本の農村の穏やかな安らぎの光景をとらえ、一面に咲く菜の花に日本の野の春のはなやかさもうたいあげる。そして正確な描写だけでなく、そこにさりげなく、喜びや悲しみ、やさしさや、はかなさの人生の哀歓を盛り込む。じつにどんな対象にもいどみ、そして何でも描ける幅広い技術を手にしている画家ということができる。その対象の豊富さわかりやすさという点では、北斎や広重の浮世絵の系譜をひく大衆性もある。

 「画家の条件は、物の形が正確に描けることだ」というのは、東洋、西洋を問わず、変わることのない古今の真理であるようだ。しかしまた現代は物の形を描けない画家が大変多いのも事実だ。その中で、物を描ける腕を持った画家、三栖氏は注目すべき画家の一人ということができる。そしてもっと注目すべきことは、彼が誰の目にもまごうことなき具体的正確な形象を媒体に、自分の思想、感情を訴えようと決意している明快な態度にある。自分が美しいと思うものは誰もが美しいと感ずるはずだ。その美しさを再現すればいい。画家はその発見の目と表現のワザを磨けばいい。その目も技もダメならば絵描きをやめてしまえ。大衆の目と心の共感を前提に、ただひたすら心に響いた感動の再現に全力を傾ける。だから作品にはまぎらわしい思わせぶり、あいまいもことした夾雑物は一切ない。目ざす目的にまっしぐら、清冽に表面が澄み切る。全力投球の面鏡そのものも壮烈ですがすがしい。こうした単純素朴、大らかなロマンをうたいあげる画風の三栖氏が評価されるのは、その背景にそれを求める時代の動向があることも見逃せない。

 昨年銀座の日動画廊で安井曾太郎の滞欧時代の裸婦デッサンを中心に素描展が開かれて、学生たちの人気を集めた。正確、たんねんな追求ぶりが光彩を放って新鮮に見えた。明治以来の裸体デッサンは、それまでの日本絵画に欠けていた正確さの表現を養う近代絵画の基礎訓練として定着してすでに一世紀になる。

 しかしその目的とした正確な描写の点では効果はどうなのだろうか。絵巻物などに描かれた線描の人物像の方が、現代作家よりもはるかに日本人の像を深くとらえていると思えることもしばしばある。抽象、前衛のブームが終息した今になって、浅井忠、黒田清輝、安井曾太郎...近代日本の油絵画家が開拓してきた具象絵画の方向は何をめざしたものであったか。日本の近代具象絵画にはとまどいが見える。

 その混迷はそのまま抽象でなければと選考のワクを広げてきた安井賞展自体にも現われている。シュール、象徴、プリミティブ、童画、スーパーリアリズム、半抽象といった純粋幾何図形以外のほとんどの現代油絵の作風を網羅している。百人の画家が一人の裸婦を描いて、百の手法の具象裸婦の作品が登場する。具体的でないさまざまな具象の時代になっている。

 そしてこれと並行して、近代の油絵摂取一世紀、日本の油絵に西洋ばなれ、土着化の傾向がきわ立ち始めている。大家たちの水墨南画風な油絵はますますふえ、若手たちは油絵具を使ってさまざまな伝統的な日本絵画の表現を試みている。水墨風、大和絵風、浮世絵風、様々な油絵日本画が輩出している。

 いわば現代日本油絵は、具象Uターンといいながら具象絵画の明確な像が打ち立てられていない情況、西洋画一世紀でめ生えた西欧絵画表現の反省といった渾とんの時代を迎えているといえる。しかしこの多様さはずっと続くわけもなくやがていくつかの流れに分離していくだろう。多くの団体展やこの安井賞展にもその傾向のいくつかはすでに目立ちはじめている。その一つはプリミティヴ、童画風、その二つは幻想、象徴風、そしてもう一つがリアルな写実風だ。このリアルな作風には、枯れ野の女性像の北山巌、雪の里の葛西四雄、塗師祥一郎、今回の安井賞展の沢田憲良、張替真宏、伊牟田経正など各氏の作風も含めることができる。そして第19回目の安井賞にそのリアルな画風の代表格、三栖氏が選ばれた。この受賞は単に一人の優れた具象作家が世に送り出されたという以上に、現代日本油絵がめざす流れを鮮明に印象づけたといえるだろう。

次回は1979年「スペインを描く 三栖右嗣展」図録に掲載した、村瀬先生の「徒手空拳の快男児」をお送りします。byひらい

 

 

 


朗読劇「月光の夏」 プレ企画実施!!


9月7日(土)に、川越市民会館・やまぶきホールで実施される ピアノソナタ「月光」による朗読劇「月光の夏」のプレ企画が、8月11日(日)に約100人もの大勢の皆様のご参加で、当美術館で実施されました。

主催者の「Peaceやまぶき」様による、絵本の朗読・遺書の朗読と、キーボードの演奏が行われました。朗読1.JPG

そして公演の終盤思わぬ「サプライズ」が起きました。それは、何と川越出身の若きピアニストの 佐々木崇さんが駆けつけて下さったのです。ピアニスト佐々木.JPGそして、ショパンの名曲「ノクターン」とシューマンの「トロイメライ」を演奏して下さいました。最後には、私たちの突然のお願いでしたが、「千の風になって」を快く伴奏していただき、館内は感動の大合唱の熱気につつまれ、フィナーレとなりました。

猛暑のなか 観客の皆様、Peaseやまぶきの皆様、そして急遽駆けつけて下さった佐々木崇様、皆様方に美術館スタッフ一同 心から感謝致します。ありがとうございました。

                                 by マネージャー宇多村