プロフィール
三栖右嗣氏(みすゆうじ)記念館は敷地内のシンボルツリーや新河岸川沿いの桜並木など、サクラとはなじみの深い美術館です。スタッフがブログを通じて、さまざまお知らせを提供し、さくらのように愛される美術館づくりをめざしています。
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スタッフブログ

ヤオコー川越美術館三栖右嗣記念館スタッフによるブログです。

2014年1月24日 のアーカイブ

三栖右嗣の足音 Vol. 3-2


 三栖右嗣は2010年4月18日に、83歳の誕生日まであと7日を残して世を去りました。享年は82歳ということになります。その長い画業を、これまであまた書かれた評論その他の文章を通じてご紹介したいと思います。当時の文章を加工せずそのまま読むことで、時代背景や、描かれたばかりの絵を見たときの人々の高揚した気持ちを、そのまま味わっていただけるのではないかと考えました。語られた膨大な言葉の海の中から立ちあがってくる三栖絵画の真髄を堪能なさってください。

 

三栖右嗣作品選集1945~1975 より     監修・文 村木明

海のシリーズ

 1973年には秋にも新しいシリーズの個展を開き、しかもその都度新たな展開を見せるという驚異的な仕事振りであった。その他に安井賞展に「リンゴ園」が入選しているし、「形真展」にも出品している。さらに未発表であるが、フランス旅行に取材した、「オンフルール」や「モンマルトル」などの作品も数点描いている。

 「リンゴ園シリーズ」に続く新しい連作は「海のシリーズ」で、沖縄や千葉の海に取材した作品である。このシリーズには人物も登場して、この画家の多彩な才能を見せた。また「海のシリーズ」は彼の年来のテーマでもあり、彼の内部で温められたものが具体的な取材を通じて作品かされたのである。それだけに水を得た魚のように彼の描写力は一段と闊達となり、マチエールも一層強靭さを増してきた。それと海に寄せる画家の情念が充実した画面を実現させた。

 「海の静物」はじめとする、「なぎさ」「白い砂の浜」「網」「ほね貝」「潮風」「網と貝」などの作品がそれである。「海の静物」の迫力、「なぎさ」に見られる空間処理のうまさ、「白い砂の浜」の写実力、しかもそのどれ一つをとっても、これは写生画ではない。対象を通じて画家の中で再構成された作品である。彼の作品がそれぞれにリアリティをもつのはそのためである。海の静物120号 当館蔵.JPGブなぎさ 20変 1973年 三栖右嗣作品選集より.JPGブほね貝 8M 1973年 三栖右嗣作品選集より.JPGブ網と貝 10P 1973年 三栖右嗣作品選集より.JPG

三栖右嗣とリアリズム絵画

 東京芸大で安井教室に学んだこの画家は、一貫してリアリズム絵画を追求してきた。抽象・前衛の流行した60年代に作品発表を中止したのも、そうした流行への妥協を好まなかったからだ。そうした頑固一徹さには父の血が通っているかもしれない。10年間の沈黙の故に、彼は日本の洋画壇では遅れてきた画家の不遇を甘受しなければならなかった。それは画家の資質や才能とは関係ない、年功序列を優先する日本画壇の歪みの故であった。

 が、彼はそんな画壇には色目を使わず、彼のめざすリアリズム絵画に新しい道を切り拓こうとした。それは対象を克明に再現的に写しとるスーパーリアリズムとは異なり、画家が対象の中に読みとった普遍的実在を表現することある。つまり対象の実在性を一つの象徴にまで昇華していくのである。リアリティはそうした普遍的実在性の表現の中に見出されるものであり、そこにはつねに新たな要素が秘められている。

 一見写真のようでありながら、写真とは異なる普遍性が表現されているとき、その作品は見飽きない絵となり芸術となるのである。と同時に、一つの作品はそれを見る人に応じて多様な意味をもつとき、時間と空間を生き続けることができるのである。彼はそうしたリアリズム絵画を追求しているのである。

一つの転期

 1974年、画家の身辺は多事多難であった。「形真展」に出品し、安井賞展は前年の「海の静物」が入った。が、「北海道シリーズ」「リンゴ園シリーズ」「海のシリーズ」に続く発表として考えていた、「人物シリーズ」は難行した。市場の不況で、いかに新鋭作家として注目されていたとはいえ、それほど絵が売れるわけではないし、高いモデルは雇えないとなると、画家の思い通りに仕事は進まなかった。それにパターンを嫌ってあたらしいものを求めるには、取材も十分やれないと云う悩みがあった。だからといって妥協した売り絵を描くことは自滅にひとしかった。

 あまつさえ、母子水入らずの生活に大きな変化が起った。年はじめから病床に親しみ勝ちであった母が、酷暑の最中に86歳で不帰の人となったのである。母を失った空虚を満たすためにキャンバスに向うものの、仕事は思うにまかせなかった。で、秋の個展にはシリーズ制作を断念して、いままでのモチーフからいくつかを選んで描いた。

 そうした苦境の中から「かもめとキッツォ爺さん」「枯草の上」「小樽風景」などの力作が生まれた。「かもめとキッツォ爺さん」は造詣の手堅さ、「枯草の上」は画面構成の面白さを見せ、少なくとも表面的には停滞のない制作振りを示した。この苦境の1974年にもう一つの注目すべき作品がある。ブかもめとキッツォ爺さん 60変 1975年.JPG 枯草の上 30P 1974年.JPG

≪老いる≫

 1974年の真夏に画家の母が亡くなったことはすでに述べたが、この「老いる」(エチュード)は、その母がモデルになっている生前の最後の姿である。80歳を過ぎた母の老いた裸像を敢えて描こうとしたのはなんであったか。母に対する愛情か。あるいは死別の予感があったのか。が、それは深くは問うまい。ここに現出しているのは、すさまじいばかりの写実絵画である。画家の眼はその老いる姿を執拗に描き出そうとしている。それは母をこえて生きている一人の女の姿であり、まさしく一つの実在である。あるいは母をと通して見た人間存在の一つの証しでもある。ブ老いる(エチュード) 30号 1974年.JPG

 

「海を描く現代絵画コンクール展」で大賞受賞

 1975年の新春早々に開かれた「リアリズムの新鋭作家展」に、海とリンゴをモチーフにした数点を出品した。「リンゴのある風景」はその一点で、リンゴ園シリーズの一つの頂点を示す作品である。3月の安井賞展には大作の「リンゴのある風景」が入選している。が、市場の不況は深刻で、制作も取材も思うにまかせず、苦境を余儀なくされた。それでも彼は次の個展のために絵を描かねばならなかった。兼ねてから彼は日本の四季、ことに日本の春を描いてみようと考えていたブ林檎のある風景 12P 1975年.JPG

 秋の個展のために「日本の四季シリーズ」の制作をはじめた一方で、彼はこの年秋縄の海洋博を記念しておこなわれた、「海を描く現代絵画コンクール展」に応募しようと考えた。海は彼が古くから温めていた主題であった。6月22日の締切りにやっと間に合って100号の「海の家族」を搬入した。コンクールは、全国からあらゆる年齢層の多様な傾向の約4000点の応募作品が集まり、かってない大規模なものであった。彼の作品はその中から見事"大賞"に選ばれた。その受賞は実に大きな意味を彼にもたらした。ブ海の家族 100P 1975年 三栖右嗣作品選集より.JPG

日本の四季シリーズ

 「海の家族」の大賞受賞によって、画家三栖右嗣の存在は、全国各地を巡回した同コンクール展をはじめ、新聞、雑誌、テレビを通じて大々的に紹介され、遅れてやってきた画家は、いまや日本画壇の寵児とまでもてはやされるにいたった。が、考えてみれば彼は昨日の彼と変わるはずがなかった。画壇がそれまで、この才能の発見に怠慢であったにすぎない。それを年功序列ではなく、実力主義を評価するコンクールが発見したのである。

 昨日の苦境と今日の栄光、ひとたび彼の実力が認められると、画壇も市場も態度を一変した。これもまた世の慣わしであろう。彼はそうした一切の世情は世情として容認しながら、自らはきびしい試練に立ち向かっていた。大賞作家は一点の駄作も許されないからだ。彼は取材のために西に東に、北に南に歩を運んで、日本の四季に挑んだ。主題が主題だけに作品は温和な作風になり勝ちである。それを造形的にどのように処理していくか。しかも彼は生活感のあふれた日本の四季を描きたいと考えた。そして9月に個展を開いた。会期中に訪れた人びとの数はかってない記録となり、大新聞の展評でも好評を博した。「納屋」「軒下」「飛騨」「坂道」「田園5月」「山合の水田」「みよちゃん家」「野の花」は、写実絵画に新しい活路を示すものであり、個展は成功裏に終った。が、休む間もなく、彼は今日も描き続けている。ブ軒下 10M 1975年 三栖右嗣作品選集より.JPGブ坂道 8P 1975年 三栖右嗣作品選集より.JPGブ田園五月 20P 1975年 三栖右嗣作品選集より.JPG

 


 「老いる」は、その後100号に描きあらためて(お母様の姿は同じで、上部の空間を上に伸ばした構図となっています)、1976年の安井賞展に出品され、見事に安井賞を受賞しました。その受賞作品は、国立近代美術館の買い上げとなり、同館に収蔵されています。

 ヤオコー川越美術館に展示しております「老いる」は、本文中にありますように1974年、お母様の亡くなられる4ケ月前に描かれた、最初の作品です。

 村木明先生は、1929 年のお生まれ。美術評論家として硬派の美術評論を展開される一方、女性心理を克明に手繰るたおやかな小説をお書きになる作家でもあります。画家三栖右嗣とは長い交友をむすび1972年アメリカにアンドリュー・ワイエスを訪ねた折にも同行されました。 byひらい