プロフィール
三栖右嗣氏(みすゆうじ)記念館は敷地内のシンボルツリーや新河岸川沿いの桜並木など、サクラとはなじみの深い美術館です。スタッフがブログを通じて、さまざまお知らせを提供し、さくらのように愛される美術館づくりをめざしています。
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スタッフブログ

ヤオコー川越美術館三栖右嗣記念館スタッフによるブログです。

2012年9月 6日 のアーカイブ

ナガールの花束 パート3


 今ならナガールを「あぁ、あのフンザのカリマバードの対岸の村だね」とお分かりになる方も多いようですが、三栖先生が取材にいらした27~8年前は、まだまだ大変な秘境だったようですね。
 私は今年の春、ナガールと聞いて「ダカールなら知ってるけど、ナガールっていったい何処?」という状態でした。そんな私のような読者の方も すこしは いらっしゃると思いますので、まずナガールの場所と歴史からご案内いたします。

 住居表示風に言いますと、パキスタン・北部地域・ナガールでしょうか。ちなみに北部地域というのは、パキスタンの4つの州とは別の、少数民族が暮らす特別区である行政区域だそうです。フンザは、パキスタン・北部地域・フンザです。

 昔から、フンザ藩王国とナガール藩王国は戦争を繰り返していましたが、19世紀も終わり頃になって、侵攻してきた英国軍に対抗するため、両国は手を結んだようです。

 ナガール藩王国は1970年に、フンザ藩王国は1974年にパキスタン連邦政府の管轄下に入ったといいますから、本当についこのあいだまで、王様のいらっしゃる国だったのですね。

 テレビの紀行番組などで、フンザばかりが取り上げられるのは、カラコルムハイウェイを通す話が持ち上がった際に、生活の利便性をとったフンザの王様は賛成し、民族固有の文化が破壊されることを懸念したナガールの王様は反対したので、ハイウェイは結局フンザ側を通り、フンザだけが有名になっていったそうです。

 

 東西を結ぶシルクロード、絹の道。東の文化と西の文化が、この道を行き交いました。後世に名を残した人もそうでない人も、気の遠くなるほど多くの人が、富や知識や名誉を求めて、死と道連れの旅をしました。

 シルクロードは大きく分けると3本あるそうです。最も一般的なのはオアシス路。いまの中国の西安を基点として、西に進んで、天水、蘭州、武威、張掖、酒泉、嘉峪関、安西、敦煌、柳園、ハミ、トルファン、コルラ、クチャ、アクス、カシュガル、タシュクルガン、フンザ あぁやっとフンザが出てきました。西安を出てから6000キロ以上、実に長い旅路です。

 タシュクルガンからフンザへぬけるには、標高約5000メートルのクンジュラーブ峠を越えなければなりません。日本の富士山は3700メートル台、それでも高山病にかかる人もいるというのに、峠でさえ5000メートル。パキスタンの北部地域の人々は、7000メートル以下の山々には名前もつけないそうです。なにしろごろごろあるのですから。

 ナガールとはそんな高地にある国なのです。

 さて、長くなりました。三栖先生がこの地を訪れ、どんな取材をなさったのかは、次回にお伝えいたします。
 最後に、800号のナガールの花束の少年は、何人いるでしょうか。恐らく、19人とのお答えが一番多いと思いますが、正解は20人です。上の列の左から3人目の少年の胸のあたりから、横顔だけを出している少年が一人いるのです。

 では......。                         by平井